秋田での生活に役立つ情報です。
芭蕉は1689年に奥の細道の旅に出た。山寺をおとずれた後、旧暦6月3日に新庄を発ち、舟で最上川をくだり清川で上陸し、羽黒山・月山・湯殿山を5泊して巡拝して鶴岡に下り、6月13日舟で酒田に着き俳人と交わり、15日発18日帰着の3泊で象潟をおとずれた。
私の経路は、東京から山形新幹線で新庄。新庄からは陸羽西線(別名:奥の細道最上川ライン)で余目(あまるめ)。ついで羽越本線で象潟というコースでしたが、東京方面から行くには新幹線で新潟、そこから特急に乗るほうが乗り換え1回で断然早い。
象潟は日本で初めて漂泊の思想を体現したとされる平安中期の能因や、芭蕉が「旅に死せる古人」と呼んだ西行が平安中期におとずれたと伝えられる景勝の地で、松をいただいた小島が散在する浅い海だったが、1804年の地震で2,6m隆起して現在は水田の中に島が点在している。国指定の天然記念物。
象潟の駅は特徴のない小駅。駅向かいのタクシーは手を挙げても来ないので観光案内所から電話してもらった。
まず、能因島に立ち寄る。たしか幅10m、長さ20mくらいで松が生えた小島。ツリガネニンジンやオトコヘシが咲いていた。
地元では能因法師がここで3年間修行したと伝えているが、新幹線の社内誌「トランヴェール」2009年9月号では能因も西行も象潟を訪れた確証はないという意見を紹介している。
もしもそうだとすれば、能因が雪に降り込められて越冬した場所はどこだったのか。「世の中はかくても経けり象潟や あまのとまやをわが宿にして」と詠んだ場所はどこだったのだろうか?
また、西行が「象潟の桜はなみに埋もれてはなのうえこぐあまのつり舟」と詠んだのはこの地ではないのか、などと思いました。
さらに、能因・西行が訪れたことを信じて、奥の細道の旅で最北の象潟の地に足を運んだ芭蕉の一途な歌枕探勝に旅心をかきたてられながら、能因島から九十九島と呼ばれるいくつかの島をめぐって、色づいた稲穂の海に浮かぶ島々をながめ、新興住宅をさけて写真をとりました。
湾に浮かぶ凝灰岩の松島と、潟にある土石流の流山の差か、それとも表日本と裏日本の差か、「松島はわらうがごとく、象潟はうらむがごとし」という芭蕉の感慨はそのまま今につながっています。
九十九島のひとつ象潟島にある蚶満寺(かんまんじ:扁額には蚶満珠禅寺とある)に行く。(なお蚶貝はキサガイと読み赤貝のこと)
入り口の標柱から左に入って今出来の西施像を一瞥。旧参道を歩いて山門にいたる。
江戸中期の作とされる山門は1804年の地震で倒れたのを復旧したとか。二十四孝を彫ったという彫刻が素晴らしい。
受付で拝観料300円をはらって入山。ここは見るものが多いが、見ることが出来ない旅客集は、訪れた文人が歌や句を書きとめたもので小林一茶、平賀源内など1400余の名前が記されているという。一部の写しが象潟郷土資料館に展示されているとのこと。
見たもの:北限のバナナ(芭蕉)の植え込み、芭蕉句碑、西行桜の幼樹、猿丸太夫姿見の井戸、北条時頼のツツジ、親鸞聖人腰掛石、舟つなぎ石、夜泣き椿などなど。
なお、芭蕉の句碑は「象潟の雨や西施がねぶの花」で奥の細道本文の「象潟や雨に西施がねぶの花」の初案とされています。
蚶満寺のちかくに道の駅があります。土産は1階。後はカラオケ、貸席、4階が展望温泉風呂、エレベーターで6階に上がると展望台で日本海に沈む夕日が見られる。
蚶満寺のちかくにある宿は「海苑蕉風荘」と「サン・ねむの木」。前者は秋田県の保養所を払い下げたもので築40年?。建物は古いが内装はそれほどでもない。海岸に10mという好立地。朝食つき6300円。ツインは12600円と部屋代と食事代が分けてない。
「サン・ねむの木」は昔の島?の上にあり、新しい感じ。眺望もよさそう。いずれも象潟の観光案内のサイトからのぞける。
しかし、特急で40分の酒田には新築のビジネスホテルがいくつもあり、部屋代と食事が分けられているので、酒田に泊まる方が快適だし安くつく。その場合、東京から新幹線で新潟。新潟から特急で象潟下車。逍遥して酒田に戻って泊まるのがお勧め。
山形県の観光名所教えて下さい。マニアックな場所であれば嬉しいです。関西在住の大学生で東北地方の西側に旅行しようと思っています。飛島や加茂水族館ぐらいしか知りません。よろしくお願いします。あと秋田県もよろしければお願いします。
どちらが安いでしょうか??学割orとくだ値今度秋田に遊びに行くのですが、、秋田新幹線こまち利用です。埼玉県深谷駅~秋田県神宮寺駅経由としては高崎線深谷駅=大宮駅で新幹線利用=大曲駅下車=神宮寺駅です。ちなみにとくだ値だと上野~秋田駅間の値段ですが、途中下車するのでそれでOKです。
秋田県の象潟に蚶満寺に良く当たる占い師がいるとききました。どなたかご存知ですか?